私は無いに気づいた後は

ユーチューブ動画の活字版です。

人生は創造主の体験計画書!

 下記文章と画像は、ユーチューブ動画制作のために書いた原稿と挿画です。保存のために、ここに残すものです。

 

人生は創造主の体験計画書!

 私は無いに気づいた後は、をお送りする宮本昌俊です。今回が6回目の動画になります。このチャンネルは、いわゆるスピリチュアル系を題材にしていますが、全ては私個人の体験や考え方を根底にして硬軟織り交ぜて、私がこれまでに読んだスピリチュアル本などを取り上げながら、スピリチュアル的なものに関心がありながらも、「私は無い」をまだ体感しておらず「私が無い」に気づきたいと思っている人、また、既に「私は無い」に気づいてる人に対しても共感できる部分を共有できたらという思いで、たぶんほんの一握りの極々少数の人に対してメッセージをお届けできたらと思います。真実の存在である絶対と言える一つなるものたる私たち自身である創造主の導きにより、このチャンネルを見つけご覧になられる人に対して今後とも何とぞよろしくお願い申し上げます。

 では、本題に入らせていただきます。端的にはっきりと分かりやすく言うと、私やあなたというものは創造主の奴隷か操り人形でしかないということです。私やあなたは、創造主が書かれたそれぞれの「私」という人生の書で、創造主が書かれたことしか考えられないようにされているばかりでなく、創造主が書いた通りのことしか話せないし、創造主が書いた通りにしか動けないのです。加えて創造主が書いたことしか見聞きできないし、創造主が書いたとおりにしか身動きが出来ないようにされていて、何もかもが、がんじがらめでからめとられていて自分の意思で動くことなど全く出来ないようにされているのです。ありとあらゆることの全てが決まっているのです。何一つ自分の思い通りにはならないのですから、私は、まさしく創造主が経験したいことしか経験できないロボットでしかありません。ただの身代わりなのです。

 少し前にそれぞれの「私」という人生の書と言いましたが、本当はそこに「私」というものさえないのですから、創造主の体験計画書と書いた方がより真実に近いと言えます。「私」の人生を生きていたのではなく、創造主の体験の一部を生かされていたのです。

 そこにあると信じていた主体となるべき個人としての「私」はないのですから、当初、その事に気づくのは絶望でしかありません。「私」がないことに悩み苦しむことになります。しかし、それはいずれ、幻想の「私」にとって創造主の恩寵であり祝福だと思うようになります。なぜなら、幻想の「私」は創造主が望まれた体験そのものを生きているのですから、これ以上の栄誉なことが他にあると言えるでしょうか。あるはずがありません。

 絶望から抜けるには創造主の奴隷、創造主の操り人形であることを素直に受け入れ、そこに悦びを感じるか、それとも、もともと「私」というものはなく全ては一つという、いわゆるワンネスを感じるところまで到達するしかないのかもしれません。

 それを感じることができないのであれば、あるのは、絶望と人生が思い通りにならず先が見えないことに対する憂鬱と不安だけです。もちろん、人によってはワンネスを経験すれば全てが解決するわけでもないだろうことは容易に想像できます。ただ、私は無いに気づいた人のたどる道は、創造主の奴隷や操り人形でも仕方がない、ロボットとしての道を生きるしかないといった諦めの心境しか選択の道はないと私は思っています。それを真に受け入れられた時、何かが変わるのだろうと思います。

 私は、その過程を経て、先にも述べたように幻想の「私」は創造主が望まれた体験そのものを今生きているわけなのですから、それは祝福と恩寵に満ち溢れた本当に誇れる人生を送っていると思います。

 最後に、ダグラス・E・ハーディングさんが書いたナチュラルスピリットから出ている「存在し、存在しない、それが答えだ」という本をご紹介します。

 この本は他の悟り系のスプリチュアル本とは少し趣が違っていて、それは読んだ人を気づきに導く手がかりとして具体的にイラストや自ら行う実験方法が書かれているという点です。

 私が、これを読んだのは半年以上も前のことですが、私は無いに気づいてから何年も経ってのことなので、この本が私の気づきそのものに対しては、これといって何の影響もなかったのですが、私の物の捉え方や気づきの再認識をさせてくれたという点では買って良かった思う本の一冊です。

 この本を買った人が書いたアマゾンのレビューを読むと分かりづらかったと書いている人が多いようですが、確かにノンデュアリティは理論的に頭で理解するものではなく直感的に理解するものなので理解しようとすればするほど分からなくなるのは致し方のないことだと思います。

 この本に書かれていることを理解する上で、私から何かアドバイスができることといえば、それは、今あなたが、あなたの目を通して見ている世界には、世界から分離して存在していると思っているあなたの体も確実に含まれるということです。これは文字通りの意味です。あなたの体と世界は一体で不可分です。あなたの体は世界から分離したことは一度もないし、これからも分離することはありません。真実のあなたは、今、その体を通して世界を観賞している唯一絶対の存在です。つまり、唯一絶対の存在からの視点で見ると、あなたの体も観賞する対象物の一部ということです。

 それでは今回は、ここまでとします。いずれまた、気が向いた時にその時が来たらお会いできるかもしれません。あなたである私に、そして私であるあなたに。その時が来るまで何とぞお元気でいて下さい。では、再会の時まで一時のさようならです。