私は無いに気づいた後は

ユーチューブ動画の活字版です。

引き寄せの法則はありません!

 下記文章と画像は、ユーチューブ動画制作のために書いた原稿と挿画です。保存のために、ここに残すものです。

 

引き寄せの法則はありません!

 私は無いに気づいた後は、をお送りする宮本昌俊です。今回が3回目の動画になります。このチャンネルは、いわゆるスピリチュアル系を題材にしていますが、全ては私個人の体験や考え方を根底にして硬軟織り交ぜて、私がこれまでに読んだスピリチュアル本を取り上げながら、スピリチュアル的なものに関心がありながらも、「私は無い」をまだ体感しておらず「私が無い」に気づきたいと思っている人、また、既に「私は無い」に気づいてる人に対しても共感できる部分を共有できたらという思いで、たぶんほんの一握りの極々少数の人に対してメッセージをお届けできたらと思います。真実の存在である絶対と言える一つなるものたる私たち自身である神の導きにより、このチャンネルを見つけご覧になられる人に対して今後とも何とぞよろしくお願い申し上げます。

 では、本題に入らせていただきます。みなさんは、引き寄せの法則というものをご存知でしょうか。簡単に言うと思考で臨む願望を実現させる方法のことです。私は2015年の初夏にそのDVDを知人からもらうまで引き寄せの法則という言葉があることなど全く知りませんでした。そのDVDとは「ザ・シークレット」というタイトルのものでした。私は、それがどんな内容のものなのか分かりもせずDVDをパソコンのディスクドライブにセットしてスイッチを入れました。その後の私は食い入るように画面を見続け、その物語の中に没入し熱中するようになったのです。それ以来、何度も「ザ・シークレット」を繰り返し見るようになり、さらには思考で臨む現実を叶える方法などが書かれた本を次から次と買っては読んで、自分も何とかして望む人生を引き寄せ願望を実現したいと心底思うようになったのでした。

 そしてプラス思考が大事だとか、愛だとか感謝だとか幸せだとかといった言葉を口癖にして呪文のように唱えていれば潜在意識をポジティブに変えることができ願望実現には有利に働くなどといったことが書かれた本を読み、朝から晩まで「愛しています」や「感謝します」「私は幸せです」などと言ってみたり、願望を紙に書きだすのが良いと書かれていればノートに事細かに叶ってほしい願望を一つ一つ飽きもせず、それをすることで、もしかしたら夢が叶うかもしれないと浅はかにも一縷の希望を持って繰り返し書き記していたのでした。それは私が無いに気づくことになるヘルメス・J・シャンブさんの「”それ”は在る」電子書籍版を読むまで続けられていたと記憶しています。

 私は「”それ”は在る」によって私は無いに気づいたことで、そんな事では人生は変えられない、いや、正確には変えられるかもしれないけど、それをすることにより変わる人生の設定がされていない限り変わることはないと分かったことで、世間一般で言われているような、いわゆる引き寄せの法則はないとはっきりと断言できるようになりました。全ての物語は既に決まっています。故に思考による願望実現はありません。誰かが、思考したことで何かが現実になったんだと言ったとしても、それはもともとそうなるストーリーだっただけのことなのだと私は言い切れます。

 従って、ポジティブ思考で感情面をいかにワクワクさせようが、いかに現実味豊かに事の詳細を事細かに細部に至るまで思い浮かべて思考しようが感情と思考のみで叶えたい現実を引き寄せることは不可能です。

 なぜなら、真実の存在たる絶対にとっては、時間はないからです。無意味といった方が近いかもしれません。過去も未来も現在も今そこに全てが同時に存在しているからです。分かりやすく簡単に言えば、人生は一冊の本です。物語の始まりから終わりまでの全てが一冊の本として既に完全に出来上がっているのです。現象世界の「私」は、本の中の登場人物でしかありません。

 「私」の人物設定は完璧です。物事に対する観念や性格も、マインドと言われる感情と行動の基本原則に則り、言うセリフも考える内容も体の特徴、かかる病気、出会う人、関わる仕事、いつどこで誰の下に生まれるか、誰と結婚するのかしないのか、いつ死ぬか、あらゆる幸不幸、快不快の出来事を含め人生の全てがそこには既に書かれているのです。

 作者は、幻想の「私」ではありません。本の中の登場人物が、どうすれば本の外に出て物語自体を書いたり変えたりすることが出来るというのでしょうか。そんなことは不可能です。だから、引き寄せの法則はないと言えるのです。

 しかし、作者は何物にも囚われることなく自由の身です。物語を変えたいと思えば変えられる立場にいます。ですが、幻想の「私」にはそれは分からない。いつどのように変えられるのか見当もつかない。ある日、突然衝撃的な出来事により、ふと手にして読む本により、なにげない日常の出来事により変化するかもしれないし、何も変わらないかもしれない。たとえ変化しても気がつく場合があるかもしれないし、変化したことに気がつかないかもしれない。全ては、作者の思いのままなのです。

 それなら、その作者とは一体何者なのでしょうか。古より言われている魂と言われるものなのでしょうか。前回、既に魂というものは無いと完全に否定させていただきました。いずれにしても幻想の「私」は、物語の脚本・演出・総監督として関わりたくても関わることなど絶対に出来ない、どうすることも出来ない存在なのです。

 この動画を見ている人の中には、今生きている人生は思い通りにならないと感じている人がいるかもしれません。そのうまくいかないという経験こそ大切なのであって、そのうまくいかない人生を体験するために、あなたの人生、あなたという登場人物が存在していることに早く気づくことが人生を楽に生きることの第一歩ではないかと思います。

 そもそも、私やあなたの頭の中にやってくる思考や感じる感情は、私やあなたがコントロールできるものでは一切なく全てプログラム通りに起こっていることに過ぎません。ですから、その自分のものと思っている私の何かというものは何も無いということに一日も早く気付いてほしいと思います。但し、その気づくこと自体が物語として書かれていなければ生涯気づくことはないでしょう。そこが、やりきれないところでもあるのですが、それはそれで絶対的視点から見れば全て善しということになります。 

 最後にヘルメス・J・シャンブさんのお書きになった2冊目の本をご紹介して終わりにしようと思います。”それ”は在るは、探究者とある御方との対話形式でしたが、道化師の石(ラピス) BOX入り 1-2巻セット(覚醒ブックス)は、1巻2巻とも、主に自由詩散文詩形式というのでしょうか、区切られた数行の短い文章が羅列する構成になっていて、物語形式になっている箇所が所々にあるといった感じです。気づいていない人には訳の分からない意味のない言葉が並んでいるだけの取り留めのない文章に感じるでしょうが、気づいている人が読めば、やはりヘルメス・J・シャンブさんは気づいている人なんだなと分かるのです。気づいている人は気づいている人の文章が分かるし、直ぐに分からなくても時間がかかったとしてもそのうち理解できるようになってくるのです。

 いずれにしても補足的に気づきの一助にはなるかもしれません。ご一読をお勧めします。また、シャンブさんの人となりを知ることが出来る本となっています。

 今回は、ここまでとします。いずれまた、気が向いた時にその時が来たらお会いできるかもしれません。あなたである私に、そして私であるあなたに。その時が来るまで何とぞお元気でいて下さい。では、再開の時まで一時のさようならです。